フランス マント・ラ・ジョリにて
フランス マント・ラ・ジョリにて
マント・ラ・ジョリ(Mantes la Jolie)は古くから栄えた
静かな町です。
ゴシック様式のノートルダム教会堂は、セーヌ川を背に建立されており
佐伯祐三もこの教会堂を描いています。
ここに掲載した写真は
セーヌ川の川辺から撮影したノートルダム教会堂です。
教会堂の右手に見える搭、それをアップして
撮影したのが下の写真です。
鐘つき堂だったらしいのですが
廃墟となり当時(1981年ごろ)鳩の住みかになっていました。
その頃4歳だった娘はよく
「 今日は二つ教会の近くのお店に行くの? 」とか
「 一つ教会のそばのお菓子やさんに行きたい 」
などと言うものですから
私たちも、その言葉を便利に使っておりました。
( 娘が言う二つ教会とは、搭が2柱あるノートルダム教会堂のことです )
一つ教会(鐘つき堂)について
土地の人に、第二次世界大戦で破壊されたのか・・と尋ねたところ
「 そうではなくて、フランス革命時に壊されたと聞いている・・ 」
とのことでした。そして
「 近くの家で最近、室内の模様替えをしていたら
壁の中から鉄砲が出てきたと言っていたけれど、これもたぶん
革命後に武器の供出を求められた時
急いで壁の中に埋め込み、隠したものだろう 」と話されていました。
遠い世界のことだったフランス革命が
一気に身近なものとして感じられたひとときでした。
また、あるお宅の地下室を見せていただいた事があるのですが
太い杭が打ち込まれていて、崩れる恐れがあるので
今は立ち入ることができない・・とのことでした。
マント・ラ・ジョリの古い歴史をこの時も実感いたしました。
下の写真は、セーヌ川に架かる石の橋で中央部が壊れています。
これは、コローも描いていることでも有名な橋で
12世紀ごろ建造されたそうです。
コローの絵 「マントの橋」は、ルーブル美術館 に展示されています。
この橋についても
第二次世界大戦で破壊されたのか・・と尋ねたところ
「上流からの物資の輸送に大型船を使うようになり
船の運航に支障をきたすようになったので人為的に壊した 」
との返答がありました。
この辺り、セーヌ川の中央部には
ダム島(ILE aux DAMES)という島があります。
対岸の町 リメイ(Limay)に行く為に、その島を経由した
大小二つの橋が建設されました。
大きな橋は1765年、小さな橋は1843年に完成しています。
1940年、戦争で破壊されたのはこの大小二つの橋で
その後新しく架橋されています。
下の写真は、
その新しい橋の下からマントの石橋を望んだところです。
上記写真4点は田染幸雄が1981年に撮影したものです。