フランス・バルビゾンにて(2)
フランス・バルビゾンにて(2) 1980年10月~11月
10月末のバルビゾンで・・
村役場 (Mairie) の庭に、栗の実がたくさん落ちていました。
栗のイガに手をふれた娘は、驚いた様子でしたが
こぼれ落ちた実も発見、用心しいしい幾つか拾ってきました。
10月27日 前日、シャイイ ( Chailly ) に行く途中で見た広漠とした畑地へ
夕日の沈む瞬間を見るため出かけました。
バルビゾンの家並みに戻ったのは6時ごろで、すでに日はとっぷりと暮れていました。
暖かい一日でした。
田染幸雄のメモ
10月31日 シャイイ(Chailly)までのんびり歩く。
画材店を見つけ、キャンバス・P10号2点と筆5本、油壺、絵の具2本
サインペン等を購入。
この町は、教会のある場所を扇の要とし、二俣に家並みが続いており
バルビゾンより少々広い程度か・・
教会をスケッチしていると数人の子供たちが寄ってきて
飽きもせず、終わるまで付き合ってくれた。
夜ホテルで淡彩をした。
バルビゾンの中央通りに、画家ルソーのアトリエがありました。
門を入って突き当りが教会、その左側がアトリエです。
門の左手前に鎮魂の碑が建てられていて、
戦死者の名前が刻まれていました。
翌年(1981年)の6月はじめ、バルビゾンに出かけ、同じホテルに泊まっています。
雨に降られ、散々なお天気だったようにおぼえていますが、
3日目はうって変わっての好天気、フォンテーヌブローの森の中を散策したり
懐かしい場所を訪ね歩いています。
そして、ルソーのアトリエの前の庭でばらの花をスケッチ・・
フォンテーヌブローを中心にした、簡単な地図を描いてみました。
どこへ行くにしてもはじめての場所・・予定のたてようもなく
まず出かけてみることに致しました。
せめて初日の宿泊場所だけは決めておきたい・・ということで
フォンテーヌブローの森の近くのホテルを予約、
そのホテルの近くに、ユリー(Ury)の村がありました。
フォンテーヌブロー駅からユリーまでタクシー(14km・50フラン)
ユリー からバルビゾンまで
これもタクシーを利用して90フラン、とメモにありました。
当時のレート≒50円
田染のこの日のメモ
「道程は、フォンテーヌブローの森の舗装された道を
100キロ強で、15分ほどでバルビゾン到着。」
この日は、運転手さんに紹介していただいて
レストランが経営するホテル(クレ・ドール)に泊まっています。
田染のメモにも「印象すこぶる良し・・」とありましたが
週休制を取っている為翌日はお休み、
着く早々、ホテル探しを始めました。
バルビゾンからの帰途は、パリのイタリー門(Porte d’Italie) までの
バスがあることがわかりこれを利用しています(@24フラン)。
次にバルビゾンに出かけた時・・
往復とも、バスを利用しようと思っていたのですが
往路はともかく、帰り、待てど暮らせどバスは来ず・・
フォンテーヌブロー行きのバスが通りかかったので尋ねると、
「 パリ行き 」は、今日はここを通らないから、ともかく乗れといわれ
乗車して間もなく、ここで降りて待つようにとのこと。
果たしてそこで、無事パリ行きのバスに乗車できたのですが、
前回は村々を縫うように走行していたのに、
その時は、ほとんど直線的にパリに入ったように記憶しています。
もしかしたら、休日だったのかもしれません。
マント・ラ・ジョリでも、休日運休のバス便が多かったようです。
又の機会に、こんどは
フォンテーヌブローからパリ行きのバスでバルビゾンに行くことにしました。
ところが、フォンテーヌブロー駅前でいくら待っても
パリ行きのバスが来ません。尋ねると、
「 城行き 」のバスで「 フォンテーヌブロー城 」まで行くように・・
バルビゾン行きはそこから出ている・・とのことでした。
確かこの時は、バス待ちの時間がかなりあったので
フォンテーヌブロー城を見学していたはずです。
最近の旅行案内書 ・・私が調べた範囲・・では
バルビゾンに行くには
「 フォンテーヌブロー駅、或るいは ムラン駅からタクシーに乗車するのが便利 」
とだけありました。今もバス便があるのかどうかは不明です。