なっちゃんの思い出・おにぎり
埼玉に疎開していた頃のことを
また少しずつ、思い出すままに記していきたいと思います。
おにぎり
国民学校1年生のなっちゃんは
いつもみんなと遊べてとっても楽しかったの。
男の子たちったら
〈ありのおしりなめてみな ! しょっぱいぞう ! 〉
女の子はね
〈そんなのいやだあ、いやだあ・・〉って言いながら
それでもありを追っかけまわして、つかまえて
ほんとにちょっとなめちゃった !
〈 ほんとに、ほんとだ ! しょっぱあい ! 〉
その日なっちゃんは、お友だちと石けり遊びをしていました。
川に入ってえびがに捕りをしていた男の子たちが
〈 川の中には、いろんな魚や虫がいる 〉って教えてくれたけれど
やっぱりちょっぴりこわくって
土橋の上からそうっとのぞいてみただけ。
青いきれいな水が、緑の草のあいだを
さやさや、さやさや、お話しているみたいに流れていくのが見えて
とっても気持ちよさそう !
このつぎはきっと、水の中に入ってみよう !
その時、はあはあ息を切らせながら走ってきた女の子が
〈 うちのお母さんが、みんなをよんでおいで・・って ! 〉
その子の後を追って、みんなはいっしょうけんめい走りました。
畑の小道をずんずん走って、竹やぶの角をまがって・・
そうしたら、竹の林にかこまれた大きなお家の裏庭で
おばちゃんたちが、いろんなお仕事をしていました。
手ぬぐいかぶって割ぽう着を着たおばちゃんやおねえさん
井戸ばたで野菜を洗っている人や
大きなお釜でごはんをたいている人
大きなお鍋で煮物をしている人
ほら、まきを割っている人もいました。
おばちゃんたちはからだじゅうで笑いながら
〈 さあさあみんな、早くこっちへおいで ! 〉
垣根のすき間からそうっと裏庭に入ったなっちゃんたちに
ひとりのおばちゃんが
〈 ほら、ほら、手を洗いな ! まっ黒、黒だよ ! 〉
そしたら別のおばちゃんが
くるくるくる、割ぽう着のすそで手を拭いてくださって
〈 ちょっと待ってな ! 〉って言いながら
湯気の立つ大きなお釜のふたをあけて
ふうふう湯気の立つ大きなまっ白なお握りを
あふあふ言いながら握ってくださったの。
そして、〈 ほら、ほら、熱いから気をつけな ! 〉って言いながら
男の子にわたしました。
その子ったらもう、にこにこしながら受取って
やっぱりふうふう息を吹きかけながら
右の手、左の手って持ちかえながら
ほうら、ほおばっちゃった・・
つぎの子も、そしてつぎの子も・・
なっちゃんは、見ているうちになんだかつばがわいてきて
ほっぺがきゅっといたくなって、のどがごっくん !
ほうら、なっちゃんの番がきた !
なっちゃんはにこにこしながら、おばちゃんの手の中で
かっこよくにぎられていくおにぎりをじっと見つめていました。
そして、そのおにぎりを受け取ろうって手をのばしたら・・
そしたらね、なっちゃんの手が、はげしくたたかれていたの !
びっくりして見上げると、なっちゃんのお母さんが立っていました。
三角形の目をしたお母さん !
およそのおばちゃんが
〈 ほら、ほら、いいから、いいから・・〉って言いながら
なっちゃんの手を取っておにぎりを持たせてくださろうとしていたけれど
なっちゃんは・・どうしよう、どうしよう !
もうどうしてよいのかわからなくなっちゃって
ただ、ただ、もう、もう、そこから逃げ出したかっただけ !
だから、おばちゃんの手をふり切って、走り出していました。
〈 なっちゃーん ! 〉って呼びながら
追っかけてきてくれる子がいたけれど
もう立ちどまることなんかできっこないし!
どこがどこだかわからなかったけれど
ずんずん走って走って、つきあたりの森を右にまがって
もっともっと走ったら・・
なあんだ、よく知っているいつもの道。
いつもだったらとってもこわい道、お寺の森のわきの道
ほうら、お墓がいっぱいあって・・目の前には、川もある。
でも、広い川のほとりで
どうしてよいのかわからなくって、立ちどまってしまっていました。
足もとの川には、菱の葉が、びっしりと浮かんでいます。
菱の葉をずうっと見つめているうちに
いつの間にか、去年の秋のことを思い出していました。
この淀に入って菱の実をつんでいたおばちゃんたちのこと・・
白い着物を着て手っ甲をはめたおばちゃんたちは
次から次に菱の実をつんでは、わきに浮かべた桶の中にいれていきます。
淀は、静かに見えるけれどほんとうはとっても深くって
あぶない所。
でもおばちゃんたちは立ち泳ぎしながら菱の実つみをしていました。
でも今日は、だあれもいない・・
ぷくぷくした菱の葉がびっしり浮かんでいるだけでした。
なんでお母さんは、みんなの前だっていうのに
あんなにこわい顔をしてにらんでいたのかしら・・
外でおにぎりをいただくことが、そんなに悪いことだったの?
おぎょうぎが悪いことだったのかもしれないけれど・・
でも・・でも、なんで、みんなの前で・・
いつの間にかなっちゃんは、家とは反対の方向に
ぽつんこぽつんこ歩き出していました。
この道をまっすぐに行けばおばあちゃんの家・・
でも、もう、もう、誰にも会いたくはなかったの。
そうして、いつのまにか水門の橋をわたって
学校へ行くいつもの道を歩いていました。
あっち見てもこっち見ても、どこもかしこも
あっけらかーんと明かるくって・・
それなのに、なんでこんないやあなことが起こってしまったのか
わけがわからなくなってしまいました。
どうして今ここを歩いているの?
どこへ行くの?
それでもやっぱりなっちゃんは
いつも学校へ通っている、いつもの道を歩き続けていました。
いっぱい、いっぱい歩いて・・
目をこらすと、線路まで見わたせるまっすぐな道へ出たとき
なっちゃんは思わず、立ちどまってしまっていました。
なぜって、
〈 今日も、この道は、まっ白、白だ ! 〉って思ったから。
じいっと見つめていると
ほうら、ずうっとずっと向こうの方に
あの日と同じように、まっ黒な人影が見えたような気がしました。
その日学校から帰った時、お母さんの姿はありませんでした。
いつもだったら、畑かなあって思うぐらいで気にもならないのに
その日にかぎっておばあちゃんの様子が普段とはちがう・・
〈 お母さんは・・〉って聞いてみると
〈 役場だよ 〉ですって。
〈 なあんだ、迎えにいこう ! 〉
今日みたいに暑い日で、今日みたいにあかるい日でした。
走りに走って、ほら、まっすぐな道に出た!
もうすこし行くと左側に
いつも通っている国民学校があって
もっともっと行くと線路
でも次の瞬間、立ちどまってしまっていました。
遠くの方から、まっ黒な着物をきた女の人が歩いて来ます。
あの人、お母さんみたい・・
でも、なんだかへんだなあ・・
だんだんその人が近づいて来ると、やっぱりお母さんでした。
まっ黒な着物を着たお母さんは
まっ白なきれで包んだ四角い包みを胸にかかえています。
いいえお母さんは、白いきれで包んだ四角い包みを
首からさげて、胸もとで抱えていたのです。
そのあとのおとなたちの話から、なっちゃんは
ずうっとずっと遠い南の海でおこったこと
〈 お父さん達が乗っていた船が、敵の飛行機から落とされた爆弾で
沈められてしまったんだ 〉 って事を知りました。
何もかもが、遠くて深い海の底に沈んでしまったから
だから、お父さんのお骨ももどってはこなかったんですって・・
お母さんが胸にかかえていた箱の中に何が入っていたのかなんて
誰も教えてはくれなかったし、なっちゃんだって聞けませんでした。
何もかもが、とても怖かっただけ・・。
戦争は終わったけれど、お家では
もっともっとたいへんな事がおこってしまったんだってことを
なっちゃんはよおく知っていたのです。
そしてこの日
遠くまで続くまっ白な道をじいっと見つめながらなっちゃんは
あの日のお母さんの姿を思い出してしまっていたのです。
そして、思わず向きをかえると
今度は家に帰る道を、とぼとぼ歩き出していました。