なっちゃんの思い出 まとめ
なっちゃんの思い出まとめ
何回かにわたって 「 なっちゃんの思い出 」 を書いてまいりましたが、
思えば、戦中から戦後にかけて、当時幼かった私たちは
現在では、考えようもない
さまざまな経験をしてきたのではないか・・
そして、大人たちの目から見るとちっぽけな子供たちが、
その都度、
それなりの緊張感を持って過ごしていたのではないかと思われます。
その頃の大人たちは皆大忙しで、
そうそう、子どもの面倒を見てはいられなかった・・
そんな当時の情勢を考え合わせると
親達の目の外で、
小さいなりに、世の中を見つめ続けていたのではないか、
そんな気もしてまいります。
私が生まれたのは昭和14年、その2年後に太平洋戦争が始まっています。
ということは、
幼かった頃の私が見ていたのは、戦争の時代でしかなかったことになります。
戦時中、そして戦後のどさくさの中で、
大人たちにとっての非常時・・・それが、小さな子供達にとっては
あたりまえの日常の生活だった・・そんなふうにも考えられるのですが。
焼け跡が遊び場、
満足に食べるものも着るものもない時代、
チフスなどの伝染病が身近に発生したり・・
目まぐるしく移り変わっていく世の中、
そして、ただただその渦の中で流されていただけだったような子供たち・・
そうした意味から、
記憶の底の底のほうに眠っていた幼い日々の思い出を
何回かにわたって書いてまいりました。
また思い出すことがあったとき、
引き続き記録に残していきたいと思っています。
ここに掲載した写真は
私が小学校2年生になった昭和22年(1947年)の春撮影されたものです。
場所は東京都杉並第四國民學校の裏庭。
よく遊んだジャングルジムが写っています。
手前には滑り台もあったはずです。
注 杉並第四小学校は、現在も中央線の高円寺駅近くにあります。