長野県・上高地への旅
長野県・上高地への旅
ホームページ・上高地(1)に、次のような記述があります。
1975年に大丸デパート(東京)で開かれた
「 田染幸雄 自然との対話展 」 に
上高地を描いた絵が展示されておりましたが、残念なことに
モノクロームのカタログしか残っておりませんでしたので、
それらの絵は,ブログ 「 田染幸雄の各種展覧会・6 (個展3) 」で
紹介するにとどめました。
上記の説明のように、
ブログ 「 田染幸雄の各種展覧会・6 (個展3) 」 で紹介されていた
1975・2・13に開催された田染幸雄 自然との対話展
に際し発行されたパンフレットの中に
上高地を描いた絵2点が載っておりましたので、ここに紹介いたします。
上段のパンフレット中上高地を描いた絵は
上から3段目の2点です。
これを、やや拡大してみました。
田染と共に初めて上高地を訪れたのは1974年の事でした。
以前、と言っても大昔、1955年と56年の2度
私は上高地に行ったことがありましたので、
上高地の変容に一瞬驚いた記憶があります。
減少した大正池の樹々、護岸工事の進んだ梓川、
当時は、梓川の左岸を通って徳沢、横尾に行っていたはずなのに
右岸にも、遊歩道が出来ていて驚いたものです。
(当時もあったのかどうか、知らなかっただけなのか?)
1955年の時は、西穂を目指して登山中独標付近で雷に出会い
苦労して上った道を転がるように下山してしまったこと・・
1956年の時は、横尾を通って涸沢へ、奥穂山頂の手前で引き返し涸沢泊。
夜中、遭難者が到着したからと宿泊者全員が起こされて
寝場所の再調整、頭、足、頭、足と寝かされて・・
まるでイワシの缶詰状態だと笑いながら寝についたことなどを
田染に話しながら、上高地を歩いたものです。