磐梯高原の五色沼沿いを歩くようになったのは
1980年代のはじめでした。
「道」を集中的に描きたい・・との思いからだったようです。
木洩れ日を主体にしたこれら「道」の絵を描きに
よく夏から初秋にかけて出かけたものです。
その後、その辺りの雪の風景も見たいものだと
雪解けの頃出かけるようになりました。
今回このページでは、季節柄、そうした冬から早春にかけての
裏磐梯高原の絵を紹介いたします。

毘沙門沼のほとりへ雪を踏みしめながら歩く。
雪は総じて少なく、硬くなっていた。
天候は曇り、時折薄日も差すが僅か。時折見え隠れする磐梯山。
その翌日も翌々日も曇り空が続き、もう帰るつもりながら
もう一度だけと、毘沙門沼へ足を向けたところ・・
流れる冬の雲間に、磐梯山が突如姿を表わしたそうです。
水辺の樹々の間から見える変化に富んだ磐梯山が
美しい雪の衣でくっきりと聳え立っていたとか・・。
「 その後、急速に雲が出て、灰色になってしまった。3,40分間のドラマだった。」
と田染は話しておりました。
この 「冬晴れ(裏磐梯高原)60P」 の絵とその絵に関する 「コメント」 は
マリア書房が発行している 「現代の洋画(№2 1990年刊 )」 に掲載されており
ブログ・田染幸雄のコメント欄で紹介しておりますのでご高覧ください。


1993・3・9
バスに乗るも曇り空が続いている。樹々の綿帽子、梢の雪。
雪の積もった梢を眺めていると飽きない気分だ。
五色沼入口下車、積もる雪頗る多し。
散策するも、水辺からの裏磐梯山は曇りで現れず。
また水辺にも雪深くして近寄れず、更に鉄柵が設置されて様変わり。
勝手わからず早々に宿に入る。
この時は、いちど磐梯高原駅に戻り
会津若松・喜多方などに宿をとって天候の回復を待ち再度五色沼に出向いております。
車窓から曇りの中にも磐梯山の姿は何とか見え隠れしている・・
と希望をつないで五色沼まで行ったものの、山容は望めなかったそうです。
裏磐梯山を目的とした今回の旅は、天候に悩まされ
すっきりしない曇空のような気持ちで帰途に・・
しかし多くの土地の人々とも話ができたこともあり
あまり焦燥感は無いようだ。


1985年4月裏磐梯に向かう。
ホテルの裏庭の弥六沼から、磐梯山を仰ぎ見ることが出来た。
また翌日は、早朝から五色沼遊歩道沿いを散策しています。
桧原湖の裏側、長峰方面へも足をのばしておりますが
寂れた状況だった・・とだけ話しておりました。
最後に五色沼に行ったのは1995年の10月末、奥入瀬へいった帰り
福島から、五色沼、磐梯高原行きバス:吾妻スカイラインで
裏磐梯高原に入っています。
その折の旅行記録から・・
仙台到着、変化のある雲間から陽射しがさんさんと降りそそいでいる。
強い風が吹いているようだ。樹々、また水面などが揺れ動いている。
天候が少々気になって、旅行案内所に出向いております。
と・・今夜から明日にかけ、荒れ模様で雪も降りそうな気象状況なので
浄土平を越せないかもしれない・・不通になるやも知れないと言われたそうです。
翌日、無事バスに乗れて・・
福島出発・・空は晴れて青空が広がっている。
沿道はりんご・柿など果物の樹が多く、その売店も。
玉子湯の辺りは、硫黄の匂いふんぷん。
浄土平(11:55頃)で2度目の休憩、外は猛吹雪。
福島テレビのロケーションあり・・吹雪の情景取材か?
予想以上の吹雪、数メートル先のバスに戻るのも大変な状態だった。
1622メートルの最高地点通過。安達太良、磐梯は全く望めず。
乳白色のカーテンの中を通過しているような状況だった。
14:00過ぎ、バスの終点・磐梯高原駅に到着するも
積雪と降雪で散策は不可。
雪は間断なく降り続く・・やや強く、時に小降りに。
バス停近くの磐梯高原ホテル手前の水辺に行ってみるも、
造成で変貌し、水辺は跡形もなし・・以前の面影は全くなかった。
がっかりだ。
周囲の変貌甚だしく、宿をとって晴れ間を待つ気持ちも失せ
帰宅の途についたようです。
バスの道中、雪は次第に少なくなり
猪苗代辺は積雪全くなく、みぞれで、雨降りの如し。
郡山行きB特急に乗車。
車内で野口英世展をやっていた。