<茅葺民家のある風景> は
ホームページ上の<水上町藤原郷> と <ふるさと・徳山> で紹介しております。
この他にも、山形県・田麦又の多層民家、岩手県の曲り屋民家等を
描いておりますが
今回このページに載せたのは
秩父路を歩いているときに出会った茅葺民家です。
1977,8年のことですから
もう30年以上も昔のことになります。
秩父路へは
池袋から西武線・レッド・アロー号でお花畑駅まで
そこから秩父電鉄に乗って三峰口
三峰口からはバスで秩父湖へ、そこでバスを乗り換えて
栃本・川又まで行っております。


栃本の民宿に泊りましたが
川に向かって深く切れ込んだ斜面の畑を耕す人々の姿を
畏敬の念を持って見つめていた日のことが思い出されます。
バスの終点は川又、そこで舗装道路も終わり
その先へ行くには山道を辿らざるを得ないこと
道路建設の話も出ているので
いずれは便利になるに違いない・・
そんな話も聞いたように記憶しております。
そして、嘗ての日雁坂峠越えで一日がかりで辿りついた甲州側へも
今では、平成10年に雁坂トンネルが開通して
20分ほどで抜けられるようになったそうです。








秩父路を歩きながら
戦争中、私が疎開していた場所も同じ秩父鉄道沿いの行田だったこと
行田駅から一里(4㎞)ほど入った所で
そこから2,30分も歩けば利根川べりに出られたこと
茅葺民家も沢山あったような気がするけれど
はっきりした記憶ではない・・などと話しておりました。
田染の話によりますと
上京した当時池袋に住んでいたので
絵を描きに、埼玉県の小川町・寄居方面に出かける機会も多く
利根川沿いもずいぶん歩いたそうです。
そんなことから、私が疎開していた頃の話に及び
興味を持った彼が
君たちの年代が、少しでも戦争を知っているいちばん若い世代だろうから
憶えていることを書きとめておくことも必要だ・・と申しました。
そうした事情から
ブログ上で、私の幼き日の記憶を記してみました。
次に紹介する2点の絵は
題名も制作年代もはっきりしたものではないのですが
彼がよく訪れたという埼玉県の川沿いの風景です。
古い写真ですので、先に紹介した秩父路の民家の絵の場合もそうですが
色も消え、モノクロ状態になってしまっておりました。

