なっちゃんの思い出・おつかい
なっちゃんの思い出
〈 こんな絵を描いていた頃もあったなあ・・ 〉
と言って、田染が1枚の絵の写真をみせてくれました 。
〈 どこかで見たような気がする建物 ・・ 〉 と私
〈 有楽町の赤レンガの建物さ 〉 と彼は言います。
〈 見たはずよ! 昔その辺りにはよく行ったことがあるから 。
でも、小学校2,3年の頃だから、昭和22,3年・・ 〉
〈 またずいぶん昔のことを思い出したものだねえ・・ 〉
その時彼の手にあった写真を探してみたのですが、見つかりませんでした 。
その代わり、同じ頃描いた有楽町界隈のデッサンがありましたので
紹介いたします 。
上京して間もなくこの絵を描いたと申しておりましたので
1958,9年頃(昭和33,4年)ではないかと思います。
高円寺のころ ―おつかい 有楽ビルへ-
60年以上も昔、幼かった私が一所懸命歩いていたのは
赤レンガの建物が立ち並ぶ静かな道でした。
昔コックとして郵船に勤務し、船に乗っていた伯父は
戦後そのつてで、占領軍のコックとして住み込みで働くようになっていました。
そこが、有楽町の赤レンガ街の一画にある建物、
私たちはその当時、その建物を有楽ビルと呼んでいました。
なっちゃんが学校から帰ってきた時
〈 早くごはんを食べて、これをじいじのところに持って行ってちょうだい 〉
とばあばが言いました。
いつものようにばあばは
洗濯して、こてを当てた真っ白なコックさんの帽子や上っぱり
下着やら何やらをきちんとたたんで風呂敷につつみ
お母さんが縫った手さげ袋に入れて、なっちゃんを待っていました。
高円寺駅から東京駅まで省線電車に乗ったなっちゃんは
いつものように、丸の内南口から外に出ました。
左側には大きな郵便局、向かい側には丸ビルがあります。
その丸ビルの横を通り過ぎて、左に曲り少し歩くと
右側に有楽ビルはありました。
そしてじいじ達が暮らすお部屋は
有楽ビルのうす暗い細い階段を3階まで上がった所にありました。
2段ベットが3つ置いてあって
6人のおじちゃん達がそこで暮らしています。
部屋に入るとすぐ左側に、タテにベットが置いてあって
右側の中央には窓、その窓をはさんで
2台のベットが向かい合うように並んでいました。
その窓ぎわには、小さな机と椅子
左側の奥には、背の高い物入れが並んでいました。
じいじのベットは、ドアを入ってすぐ右側の上の段・・
なっちゃんはいつも
小さなはしごを登って荷物をベットに置いて
仕事から上がってくるじいじを待っていました。
交替で仕事に出ているのか
なっちゃんが行った時はいつも、誰かしらがベットで寝ていたので
邪魔しないように、ドアの外で待っている時もありました。
廊下の片すみには、石で出来た小さな流しと三角形の棚があって
棚の上には、ガラスのコップと歯ブラシ、そして歯みがき粉の箱が
置きっぱなしになっている時もありました。
じいじより先にお部屋に帰ってきたおよそのおじちゃんが
〈 お父さん、もうすぐ上がってくるからね 〉と
優しく声をかけてくださったりして・・
〈 ・・あの人、お父さんではないの 〉
って本当は言いたくて、でもそんなことは言えなくて・・
だまって下を向いてしまっていた時もありました。
そしてある時、その人からすてきな贈り物をいただきました。
白いコックさんの上着のポケットから、何やら手品みたいに
いろんな色をした紙のたばを取り出して、なっちゃんの手に握らせて
〈 匂いをかいでごらん 〉ですって・・
ほんとにほんとだ、いい匂い !
なあに、これなあに ?
びっくりしたなっちゃんの顔を見たおじちゃんが
〈 調理場には、
肉や野菜や缶詰がたくさん運ばれて来るんだけれど
果物は、いたまないようにって、一個ずつこんな紙で包んであるんだよ。
きれいだから集めておいた・・ 〉ですって。
なっちゃん、思わずにこにこしちゃった・・
なぜって、とってもやわらかい紙で
くちゅくちゅくって、しわがよっててね
もも色だったりもっと赤っぽかったり
黄緑色や黄色や、青っぽいのもあったり
いろんな色の紙がいっぱい ! みんな違っていい香り!
レモンかな、りんごかな、みかんかもしれない・・
きっと、見たこともないような果物もいっぱいあるんだろうな・・
じいじやおじちゃん達は、進駐軍の食堂で
毎日いろんなお料理を作っているんですって。
だからきっと、想像できないくらいめずらしい品物がたくさん
お船で運ばれてくるにちがいないってその時気がつきました。
この前、じいじを待っていた時
背のびして、おでこが窓ガラスにくっつくくらいにして
窓のずうっと下のほうをのぞいて見たら
そこは中庭のようになっていて
向かいの建物の裏口から出てくる人の姿が見えました。
白い上っ張りをぬいでしまっている人
帽子をぬいで頭ごしごししながら歩いてくる人もいて・・
そうして、ほうらドアがあいて
じいじだったりほかのおじちゃんがお部屋に入ってくるの。
そんな時いつも、何だかいろんな匂いもいっしょに
お部屋に入って来たような気がするの。
お肉が焼けたとき、こんな匂いがするのかなあ・・
進駐軍の人たちが食べる物を作っているって
じいじ達は言っているけれど、
進駐軍って、いったいどこのだあれ、何をしに日本に来ているの。
なっちゃんが赤ちゃんだったとき戦争が始まって、お父さんは戦死して・・
どうして戦争がはじまったの・・
なっちゃんにはわからないことばっかり !
日本が負けて戦争が終わって、あっちもこっちも焼けあとだらけ。
焼けあとで、土台石づたいに追いかけっこしながら遊んでいる時
ここに、りっぱなお家が建っていたなんて
うそみたいだなあっていつも思っていたの。
じいじは昔、郵船のコックさん
世界のあちこちを旅していたんですって。
郵船は郵便船、手紙や小包やいろんな品物を運ぶのがお仕事
そしてそのお船には、
外国に旅行する人たちもいっぱい乗っていたんですって。
じいじは、いろんな名前のお船に乗って
たくさんの国をまわったって言っていたけれど、
その中でもね、欧州航路っていうのが好きだったみたい。
〈 もっと大きくなったら読んでごらん・・
岩窟王っていう有名な小説があるのさ。フランスの話でね、
主人公がだまされて長い間牢屋に閉じ込められていたんだけれど
幸いなことに抜け出すことができて、悪いやつに仕返しする話さ。
お客さんの中には、その物語を読んでいる人がいっぱいいたから
時には船長さんのサービスで
・・向こうに見えるのが・・
・・かのダンテスが閉じ込められていた牢獄の島、イフの城です・・
なんて、船をゆっくり進めたりしたもんさ。
日本を出てから何十日もたっていたから
長旅で退屈したり疲れたりしているお客さんたちは大喜びでね・・
ましてやマルセーユ港も目と鼻の先だ・・
そこで船を降りて、汽車でパリまで行く人もたくさん乗っていたからね 〉
でも、戦争がはげしくなると郵船のお仕事もおしまい
陸( おか )にあがることになったんですって。
そして、長い戦争が終わって・・
戦争に負けたのは日本。
勝った国の人たちが日本に来ることになったので
まえに郵船でコックさんをしていた人たちが
こんどは進駐軍のお料理を作るようになったって
じいじが話してくれました。
このお部屋の人たちみんな、昔は船乗りだったなんてねえ !
考えただけでわくわくしてしまう !
なっちゃんはね、やわらかい紙をほっぺにあてていい香りをかぎながら
じいっと目をつぶっていたんだけれど
そのうちにふうっと、ずっと前に読んだ本のことを思い出していました。
その物語の中で、主人公の男の子が昼寝をしていたお部屋には
もしかしたら、こんな香りがただよっていたのかもしれない
そんな気がしてきたからね。
その部屋の高い天井には
大きな扇風機がゆっくりと回っていて
太いつるを編んで作った壁には、ヤモリがじいっととまっているの・・
ほうら、お部屋ぜんたいが、なんだか緑色
そして何ともいえないいい香り・・
だってね、男の子が寝ていたのは日本ではなくて
ジャワだったのかボルネオだったのか・・
その子はね、お父さんがお仕事をしている遠い遠い南の島まで
たったひとり船に乗って来たんですって・・
もうひとつ・・高円寺駅で
およその人の話を聞いてわかったこと !
行き先までの切符をいっぺんに買ってしまわずに
途中の駅までの切符をまず買って、その駅で切符を買い直すと
ほんの少し安くなることがあるんですって !
でも、気をつけないと
逆に高くなってしまうこともあるって笑っていたけれど ・・
何だかおもしろいっ! て思ったから
切符売り場の上の料金表をよおく見て
四谷まではいくら、市ヶ谷まではいくら・・っておぼえておいたの。
そして帰るとき、東京駅でやっぱり料金表をよおく見て・・
もしかしたらって思ったから
思いきって飯田橋って所までの切符を買って・・
どきどきしながら、飯田橋駅で電車を降りて
どきどきしながら改札を出て
やっぱりどきどきわくわくしながら高円寺までの切符を買ったの。
〈 ほんとうだ ! じいじからいただいたお金がすこうしだけ残った ! 〉
飯田橋で電車に乗って・・
いつものように代々木、大久保、そして中野駅をすぎると、
ほうら向こうに氷川神社の一本杉が見えてきた !
もう少し行くと、いつも学校に行くとき渡ってる踏み切りがあって
そうして、ほうら高円寺に着いた !
なんだか大きな冒険をしたようでわくわくしちゃった !