「潮騒(青森県深浦)」について
海に関して田染は、よくこんなふうに言っておりました。
〈なんど訪れても、その度にちがった海があって、
何時間見続けても、二度と同じ波は来ない・・
だからかなあ、無性に海を見たくなる時がある。そして、描きたくなるんだ。〉
天気予報を見ながら、〈この風向きだと波がつぶれてしまう〉とか、
また、〈明日あたりは、海がきれいだろう〉などと・・
そして、早々に支度をし、嬉々として出かけたこともありました。
沢山の海を描いておりますが、
日本海を描いた絵は、ホームページ “海 その3”で紹介している
「潮騒(青森県深浦)」 だけだったようです。
日本海と太平洋、それは彼にとって、
イメージ的にずいぶん異なった “海” だったようです。
新潟、富山、山口で、何度も日本海を見ているはずなのに
何故か描ききれなかったようです。
20数年前、五能線の森山海岸で、漁船と岩山のデッサンをしておりますが、
この時も、油での海の絵は描いておりません。
それが、2004年の1月、冬の鳥海山と岩木山を描きたいと旅に出ました。
あいにくの天候で、鳥海山は、裾野だけしか見えず、鉛筆デッサンで終わりました。
岩木山は、旅行中ずっと雲の中、雪のため五能線は運休して、
五所川原から弘前までは、臨時バスでの移動となりました。
こんな不安定な天候の中、深浦で、列車待ちのため5時間程の空白ができました。
幸いなことに風はなく、時々青空も見えて、
私たちは、海に張り出した岩場を歩いていきました。
水底の石がくっきりと見え、海の深さがわからないほどでした。
彼は、手ごろな岩に腰を下ろし、道具を広げています。
しばらくして私は、〈早くしろ、急げ!〉という彼の大声に驚ろかされました。
彼は、空を見上げています。
そこには、さっきまでとは全く異なった、真っ黒な雲がうごめいていました。
突然のように、風も出始め、海の色も、全くといっていいほど変わっていました。
〈あの岩陰でようすを見ない?〉という私を制して、
〈急ごう、早く道路に上がろう ! 〉
わずか2、30メートル程の距離、それなのに、道に戻った時の私たちは、
吹雪の真っただ中に居りました。
彼はこの時の印象を絵にしたのだと思います。
この絵は ホームページ・海その3 で拡大してご覧いただけます。