フランス滞在記 1
<フランス・アルザス地方の旅>
ベランダで咲いたラベンダーの花を見た田染は、リックウィルでのことを思い出し
絵にしています。(ホームページ 花の絵「夏(ゼラニウム)1989」参照)
私たちがフランスのアルザス地方を旅してから、かれこれ20数年たちました。
パリ(Paris)の東駅から5時間程の所にあるミュルゥーズ(Mulhouse)から
私たちのアルザスの旅は始まりました。
ミュルゥーズでは、散歩の途中動物園を見かけ、娘のために・・と入ったのですが、
緑いっぱいの園内で、親子ともどもゆったりした一時を過ごすことが出来ました。
園内を自由に歩き回る孔雀・・
さりげなく私たちの脇を通り過ぎ、低い柵を飛び越えて草やぶに消えていった動物・・
〈今のは何だったのかしら・・犬ではなかったと思うのだけれど・・〉と私。
〈・・犬の動きとは違っていたようだ〉と彼。
〈お仕事の途中みたい・・何だか、忙しそうだった〉とは娘の弁。
園内にいた2時間ほどの間に出会ったのは、バギーを押したご夫妻だけ。
にっこり笑顔の受け付けの女性は、手元の編み物に夢中のようでした。
入園料は、大人@11フラン
当時のレートは、1フランが50円程だったと思います。
コルマー(Colmar)
コルマーは、木組み造りの建物が多く見られるとても美しい町でした。
五月の初めでしたので、白、薄ピンク、ローズピンクのマロニエの花盛り、
リラの花も咲いていました。
ストラスブールをはじめとして、この辺りの町は
ドイツと国境を接しているため、ドイツ語がかなりの頻度で耳に入ってきます。
ホテルのマダムは、右に立つ人とはフランス語で、左の人とはドイツ語で、
そして言葉たどたどしき私にも愛想よく、自由に言葉を操っていました。
小さなベニス(Petite Venise) と呼ばれる運河沿いにあった
レストラン・三匹の魚(Restaurant aux Trois Poissons )での
夕食時のお勘定書が残っていましたので紹介いたします。
住所:魚市場河岸15(15 Quai de la Poissonnerie)
合計 129.8フランはらっています。
コーヒー代が2杯で2.8フランということは、
当時コーヒー1杯(エスプレッソ)の値段は70円ぐらいだったようです。
リックウィル (Riquewihr)
コルマーに宿をとった私たちは、ぶどう酒で有名なリックウィルに出かけました。
バスは広大なぶどう畑の中を走り続けます。
でも、バスに乗る前に、ちょっとしたことがありました。
売店で絵葉書を買っている彼とベンチに座りバスを待つ私の間を行ったり来たり、
元気に走りまわっていた娘が転んでしまったのです。
と、半分べそをかいて私のほうに戻ってきた娘を、
私の隣でやはりバス待ちをしていた年配のご婦人が、
半分立ち上がり〈おー おー 〉と言いながら抱え込んでしまったのです。
そのあまりのタイミングのよさに、
娘は一瞬とまどったようですが膝頭と手のひらを見せて・・
私は常備していた濡れ手拭で拭き、メンソールを塗って・・
ご婦人は何やかや話しかけながら、手荷物の中からチョコレートいっぱいの
パン菓子を取り出して娘に下さいました。
当時この辺りでは、日本人はまだあまり見かけなかったようで、
初めは〈中国人か〉と問われ、次は〈ベトナム?〉
〈いいえ、日本から・・〉というところから話が始まるのがいつものことでした。
ですから、ふっくら頬っぺの東洋人の子供は珍しいらしく、
何かにつけ “何てかわいい子・・”と娘はちやほやされておりました。
ホテルの食堂でも街のレストランでも・・
彼女とはバスも一緒でとりとめもない話をしていたようで、
後になってから、バスから見えた風景について話す彼に、
フランス語に必死で風景は何も見えなかったと言って笑ってしまいました。
彼女は私たちより先にバスを降りたのですが、降り際に運転手さんに何事か話しかけ、
二人が私たちのほうを向いてにっこりしていたので、
多分、眠っていても目的地で降りることは出来る・・と思ったりしておりました。
バスを見送り続ける彼女に、
娘も、バスの後ろの窓からずっと手を振っておりました。
リックウィルでは案の定、私たちは運転手さんに促されてバスを降りています。
16世紀の家並みが今に残るリックウィル、その見事な木骨造りの家々の佇まい、
また、村全体がとても和やかな雰囲気だったことも合わせて、
20数年たった今でも懐かしく思い出されます。
花いっぱいの大通り(La Grand’rue fleurie )
奥に見える建物は、13世紀に建てられた城門だそうです
あちこち眺めながら歩いていた私は、
二階の窓辺でゼラニウムの鉢の手入れをしている人と目が合って
〈とてもきれい!〉と思わず声をかけておりました。彼女は
〈あと半月もしたらもっときれいに咲きそろうから、その頃また見にきてほしい〉
と言いながら、近くにリボーヴィレ(Ribeauville)という村があって・・
そこは自分の故郷なのだけれど・・とても美しい村で、
真っ赤なゼラニウムの花も見事だから、ぜひ寄って欲しい・・と言っていました。
田染は、この時のゼラニウムの花の色が特に印象に残っていたのだと思います。
リックウィルでの昼食は、メーン通りのレストランで、サラダとクレープ。
感じの良いおばあさんがマダムで、日本の風景をテレビで見たことがあるとか、
日本の食事時のテ-ブルに、小さな美しい器が沢山並んでいるのを画面で見て
驚いたなど、いろいろ話しかけられました。
ストラスブール(Strasbourg)
過去に何度かドイツ領にもなるなど重い歴史を持つストラスブール、
この街に着いた私たちはライン川を見たいと思いました。
私たちの問いかけにバスの運転手さん(女性でした)は、
このバスの終点はライン川を渡った先にあり、
1時間後にはそこを出発してこちらに戻って来るのだから、
見るだけではなく川を渡ってみたら・・とアドバイスしてくださいました。
バスは混んでいて立ちっぱなしでしたけれど、
運転手さんとの会話からこちらの立場も了解済み・・とても和やかな雰囲気で、
降りていく人達が声をかけて下さったり、娘と握手をしたり・・。
また、両国の係官が乗り込んでのバス中でのフランス出国とドイツ入国、
帰りにはその逆の検閲も、パスポートの表紙を見せただけ、いたって簡単に済みました。
ドイツでは、辺りを少々散歩しただけ。
近くのカフェでコーヒーとケーキ、娘はソフトクリームを食し、
キャンディーを買って・・代金は、マルクがないのでフラン払い・・
たったこれだけのことでしたけれど、いい思い出になりました。
この時のキャンディーの入れ物はまだ大事にとってあります。
ストラスブールに戻って、ノートルダム大聖堂の近くでバスを降り、
イル川が4つに別れて流れる辺り、小さなフランス(Petite France)と呼ばれる
木骨建築の家並みが美しい界隈を歩いています。
そして、デッサンに余念のない彼を残し、娘と私はそぞろ歩き・・
土地の人しか入らないような小さな店でスカーフを一枚買っているのですが、
その時、店先で立話をしていた人達が、
赤い花柄のタオルを大事そうに抱えている幼い娘(4歳)を見て、
かわいい、かわいい、を連発しながら、指をくわえる真似をして、
〈ほらこうして、こうして・・寝るのでしょ〉
ぷいと横を向く娘の姿がまた愛らしいと・・朗らかな笑い声と話し声。
店を出るなり娘は〈おばちゃんたち、どうして知っているの・・〉と私に尋ねました。
本当に不思議だったようです。このタオルは今でも大事にとってあります。
その頃はストラスブールからパリ・東駅まで急行で4時間半かかっていますが、
今では、T.G.V東ヨーロッパ線(T.G.V EST EUROPEEN)が開通して、
ストラスブール→パリは2時間20分に短縮されたそうです。
(注)T.G.V:高速列車(Train à Grande Vitesse の略 )
サン・ラザール駅から急行で30分、
マント・ラ・ジョリの我が家に帰り着いた私たちは、
コーヒーを飲みながら旅の思い出話にふけったものです。